龍馬の実際の影響力〜過大評価説を検証する

龍馬の実際の影響力〜過大評価説を検証する

明治維新における龍馬の実際の役割と同時代人物との比較検証

坂本龍馬といえば、薩長同盟の仲介役として明治維新の立役者というイメージが強いでしょう。確かに龍馬は慶応2年(1866年)の薩長同盟締結において重要な役割を果たしました。しかし、この同盟の実現には中岡慎太郎や土方久元といった他の志士たちの働きも欠かせませんでした。龍馬一人の力で成し遂げられたわけではなく、多くの人々の協力があってこそ実現したのです。

当時の政治的影響力を客観的に見ると、龍馬よりも西郷隆盛や木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通といった薩摩・長州の中心人物の方がはるかに大きな権力を持っていました。これらの人物は藩の重要なポストに就き、実際の政策決定に直接関わっていたのに対し、龍馬は土佐藩を脱藩した一介の浪士という立場でした。政治的な発言力や実行力において、明らかに格差があったのが現実です。

また、龍馬が提唱したとされる「船中八策」についても、その内容の多くは既に他の志士や思想家によって論じられていたアイデアでした。福沢諭吉の西洋思想や横井小楠の政治構想など、当時の知識人の間で共有されていた改革案を龍馬なりにまとめたものと考える方が適切でしょう。龍馬の功績は、これらのアイデアを具体的な行動に移そうとした実行力にあったのかもしれません。

後世の小説・ドラマが作り上げた龍馬像と史実のギャップを探る

現代の龍馬像を決定づけたのは、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』(1962年〜1966年)の影響が極めて大きいと言えます。この作品では、龍馬が自由奔放で型破りな革命家として描かれ、明治維新の中心人物として活躍する姿が魅力的に描写されています。しかし、これは小説という創作作品であり、史実とフィクションが巧妙に織り交ぜられた物語なのです。司馬氏自身も「小説は史実ではない」と明言していましたが、多くの読者にとって『竜馬がゆく』の龍馬が「本当の龍馬」として刷り込まれてしまいました。

テレビドラマや映画においても、司馬作品の影響を受けた龍馬像が繰り返し描かれてきました。特に大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)などでは、龍馬を主人公として明治維新全体を描くため、必然的に龍馬の役割が実際以上に大きく描かれることになります。視聴者にとって分かりやすいストーリーを作るためには、複雑な歴史の流れを一人の英雄の物語として単純化する必要があり、その結果として龍馬の影響力が過大に表現されがちなのです。

一方で、史実の龍馬について残されている同時代の記録を見ると、もっと地味で現実的な人物像が浮かび上がってきます。龍馬の手紙や日記からは、商売や政治工作に奔走する実務家としての側面が強く、劇的な英雄というよりは優秀な調整役・仲介者としての姿が見えてきます。また、当時の新聞や他の志士たちの記録における龍馬への言及は意外に少なく、同時代においては現在ほど注目された人物ではなかったことが分かります。龍馬の真の価値は、派手な活躍よりもむしろ、異なる立場の人々を結びつける優れたコーディネーター能力にあったのかもしれません。

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