龍馬神話の虚実〜史実と創作を見分ける
司馬遼太郎が描いた龍馬像と実際の史料から見える龍馬の違い
司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』は、現代日本人の坂本龍馬像を決定づけた作品といえるでしょう。この小説の中で描かれる龍馬は、自由闊達で先見性に富み、幕末の混乱期にあって常に時代の先を見据える革命家として描かれています。明るく人懐っこい性格で、身分の差を超えて多くの人々から愛される魅力的な人物として表現されており、これが多くの読者に強い印象を与えました。
しかし、実際の史料から浮かび上がる龍馬像は、司馬作品の龍馬とは異なる側面を持っています。現存する龍馬の手紙を読むと、確かに自由な発想と行動力を持った人物であることは間違いありませんが、同時に土佐藩の下級武士としての制約や、時代の常識に縛られた部分も見えてきます。例えば、龍馬の手紙には身分制度を前提とした表現も多く見られ、完全に身分制度から自由だったわけではないことが分かります。
また、司馬作品では龍馬が一人で歴史を動かしたような印象を受けますが、実際には多くの同志や協力者との連携の中で活動していました。勝海舟、西郷隆盛、中岡慎太郎など、龍馬を取り巻く人物たちとの関係性も、小説とは異なる複雑さを持っていたと考えられます。史実の龍馬は、確かに優れた調整力と人脈を持った人物でしたが、一人の英雄が歴史を変えたというよりも、時代の要請に応じて多くの人々と協力しながら活動した人物だったのです。
薩長同盟の立役者説は本当か?龍馬の実際の役割を検証する
薩長同盟における坂本龍馬の役割については、長年にわたって「龍馬が薩摩藩と長州藩の仲介役となって同盟を成立させた」という説が広く信じられてきました。この説は明治以降の伝記や小説によって広められ、特に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』によって決定的となったといえるでしょう。多くの人々が、龍馬こそが薩長同盟の立役者であり、明治維新の最大の功労者の一人であると考えています。
しかし、近年の歴史研究では、この「龍馬立役者説」に対して疑問が投げかけられています。実際の史料を詳しく検証すると、薩長同盟の成立には西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎(木戸孝允)、中岡慎太郎など、多くの人物が関わっていたことが明らかになります。特に中岡慎太郎の果たした役割は大きく、むしろ中岡の方が薩長間の交渉において中心的な役割を担っていたとする研究者も少なくありません。龍馬は確かに重要な役割を果たしましたが、それは数ある貢献の一つに過ぎなかったのかもしれません。
それでは龍馬の実際の貢献はどのようなものだったのでしょうか。史料から推察される龍馬の役割は、薩摩藩の軍事的支援(特に武器調達)と長州藩の経済的需要(米の確保)を結びつける商業的な仲介だったと考えられます。これは政治的・軍事的同盟の基盤となる重要な役割でしたが、同盟そのものの政治的合意形成においては、他の人物たちの方がより直接的な役割を果たしていた可能性が高いのです。龍馬の功績を過小評価する必要はありませんが、一人の英雄が歴史を動かしたという単純な図式ではなく、複数の人物による複合的な努力の結果として薩長同盟を理解する必要があるでしょう。